禁煙の第三の壁「タバコミュケーション」の厄介さといったら

「あれ? たばこやめたの?」。同僚の何気ないひと言に、喫煙を志すスモーカーの心は揺れます。

ーここで”禁煙してるんだ”とカミングアウトしたら、この人は一体どう反応するだろう?

A:「はいはい、強がってるけど、結局健康第一ってことね」
B:「今さらやめてもどうにもならないよ。ささ、一服しにいこう」
C:「ははん、モクモク団から自分だけ抜けだそうってこと?」

そうです。ここで声を掛けてきた同僚はスモーカー。ついこの間まで喫煙所で一緒にワイワイ盛り上がっていた「仲間」なのでした。

禁煙を望むスモーカーの前に立ちはだかるのは自分の体や心のニコチン依存だけはありません。たばこで繋がるコミュニティ「タバコミュニケーション」の存在も第三の壁として、なかなかにややこしい問題です。

味方が敵になる恐怖

そもそも、タバコミュケーションは「ノミニケーション(ノミュニケーション)」とも並んで取り上げられる日本独特の企業風土です。はてなキーワードタバコミュニケーションのまとめによれば、

最近の風潮も手伝ってか喫煙室などで妙な団結感が生まれることも含む(略)。仕事上の相談や会社の情報交換等が行われることも多く、情報・人間関係の輪として非喫煙者が結果的に不利になるようなケースも見られる。

とあります。

普段からたばこを吸うときは、人目に付かない場所でひっそり1人で吸っていたという人ならともかく、まさに「団結」「一体感」「娯楽」を求めて喫煙所通いをしていた場合には、「禁煙をする=タバコミュニケーションからの脱会」を意味しますのでちょっと勇気が必要になってきます。

特に現在のような禁煙至上主義のような世の中では、たばこを吸う人々がテロリストや暴力団と似た反社会的勢力のような扱いを受けてるケースも見受けられますので、劣勢のタバコミュニケーションが「やんちゃ軍団」「悪ガキ上等同盟」的な色彩を帯び、「虐げられている者同士なのだから」と異常なまでの結束力を誇っていることも珍しくありません。

In loving memory

ですから、禁煙を宣言してタバコミュニティを脱会するには、「味方が敵になる恐怖」にも耐えなくてはならず、完全脱会して禁煙を成功させるには、構成メンバー全員から「えぇ? たばこやめちゃったの?」「さては日和ったな?」という言葉のリンチを受ける覚悟が必要になってきます。

そっとしておいてあげよう

自分を窮地に追い込んでこそ爆発的な意志力を見せる希有な性格の方もいますが、多くの方はピンチは嫌ですし、できれば避けて通りたいというのが本音だと思います。

タバコミュニティの脱会に際しても、高らかな禁煙宣言をした人以外はできれば「そっとしておいてあげる」のが一番助かるのではないでしょうか?

職場といえば、個々人のパフォーマンスが人事や給料にはね返ってくる場所でもあります。

「たばこをやめた」という、どちらかといえばプラス評価な事案が、悪意を持った周囲に面白おかしく吹聴されてしまうと、「たばこによる病気リスクに怯える弱い人間」「たばこ代にも苦労してるほどお小遣いが少ない人間」などというネガキャンに結びつき、社内で色々な不利益を招いてしまわないとも限りません。

筆者も禁煙当初は「たばこを怖がっている人間」と見られるのが怖くて、悔しくて、しばらくタバコを持たずに喫煙所に出入りしていました。喫煙所ではさもタバコを吸い終わったばかりの風を装い、上司や同僚の他愛のない話に花を咲かせ、いかにも小銭の持ち合わせがないから「自販機でたばこが買えないのだ」という言い訳をしたこともあります。

  • 「風邪を引いて少しタバコ吸わなかったら、あんなもの全然要らなくなった」(←たばこに勝ったぞをアピール)
  • 「たばこを吸うのはちょっと休んでいる」(←タバコミュニティを脱会したわけじゃないよと強調)
  • 「いやー吸い過ぎてドクターストップなんだ」(←「本当は吸いたいんだけどね」という虚勢)

などなど、とにかく「脱会の言い訳」を必死で探していた空しい記憶があります。それでも、「おいおい、こいつ禁煙するんだってよ!」と笑いもののようにされたこともありますし、飲み会の席で「禁煙なんて、さびしいじゃん。ほれ、1本」と無理強いをされたこともあります。

たばこを吸う、吸わないは個人の自由。これははっきりしています。ですが、「たばこをやめたい」という人がやめられないのはおかしいというのが筆者の信条です。ですから、スモーカー側も、禁煙を志す人を引き留めたりせず、そっと背中を押してあげられるような温かな関係ができればいいなというのが願いでもあります。

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